打撃の天才吉村禎章さん好珍プレーに出演!当時の成績や、現在は?

野球

元巨人の天才打者、吉村貞章さんが3月22日(土曜日)の19時から放送される『みのもんたさん、ありがとう!元祖スポーツ珍プレー好プレー大賞昭和100年SP』のVTRゲスト出演をされるそうです。

私はその名前を聞いた際に、どんな選手だったんだろう?当時の成績や現在どんな事をされているのか?などが気になり、調べてみました。

吉村選手について気になったみなさん、一緒に確認してみましょう!

吉村禎章さんのプロフィール

引用:週刊ベースボールONLINE

名前:吉村禎章

生年月日:1963年(昭和38年)4月27日 奈良県御所市出身

身長・体重:180cm/86kg

投打:左投げ/左打ち

経歴:PL学園高校~読売ジャイアンツ

吉村禎章さんのプロ入り前は?

PL学園高校3年生だった1981年の、第53回選抜高等学校野球大会にて優勝を果たしています。

チームメイトには、のちに南海ホークスなどで活躍した西川佳明さんや、大学・社会人野球でも活躍した若井基安さんなどがいました。

プロ入りとその後の成績は?

選抜優勝を果した年の11月25日に開催されたドラフト会議にて、3巡目で読売ジャイアンツから3位指名を受けて入団。


ちなみに他球団の同期入団には、西武・伊東勉さんと工藤公康さん、ロッテ・西村徳史さん、南海(現:ソフトバンク)藤本博史さんと監督経験者が多くいます。

吉村さんは高い打撃センスと、身体能力を生かしプロ2年目の1983年には84試合に出場し、規定打席には未到達ながらも打率.326の好成績を挙げられました。


高卒4年目には、巨人の右翼手レギュラーとして定着し120試合に出場、打率.328、本塁打16本を放つなど、広角打法と長打力を兼ね備えた天才打者として着実に成績を残されます。


1986年には背番号が7に変更されると、主軸として128試合に出場。打率.312、23本塁打、72打点を記録し、自身初のベストナインに輝きました。

吉村さんは、ぽっちゃりとした体形にまあるい瞳で「ポチ」というニックネームで呼ばれていたそうですが、意外にも足が速く86年には10盗塁を記録。

強肩と俊足にも定評のある3拍子揃った選手として、巨人の将来を背負って立つと言われていたのも納得ですね!!

交通事故レベルの怪我と復帰

しかし、順調に結果を残していた1988年7月6日の対中日ドラゴンズ戦で、8回の守備中に味方選手と激しく交錯。

左膝にある4本の靱帯のうち、3本が完全に断裂し腓骨神経も損傷という交通事故レベルの大怪我を負ってしまいます。

日本での手術は不可能のため、渡米し手術を受けられました。靱帯は再建されましたが、神経損傷の影響で歩くなど日常生活にも不自由が生じることに。


現役復帰は厳しいのでは、と世間が諦めそうになるなか、吉村さんは神経移植手術を受け壮絶なリハビリを続けます。

もう一度グラウンドへ戻る」この強い思いを胸に、黙々とリハビリを続け1989年9月2日代打での試合出場を果たしました。

左打者にとって軸足となる左足のけがのため、打撃フォームの改造を余儀なくされましたが、そこは天才打者といわれる吉村さん。試行錯誤の末に右足を軸に腰を回転させる新打法を編み出し、1990年には84試合に出場。打率.327、14本塁打、45打点を記録しています。

復帰後はレギュラーでの出場とはなりませんでしたが、その勝負強さと努力で代打の切り札として活躍し1998年に現役を引退。

読売ジャイアンツ一筋17年。通算成績は1349試合、打率.296、149本塁打、535打点、ベストナイン2回獲得でした。

その後と現在

引退後は、TV解説者を経てジャイアンツの一軍打撃コーチや二軍監督などを歴任。

2022年より編成本部長スカウト担当兼国際部長に就任。同年より、元日本ハムファイターズの栗山英樹監督が就任した侍ジャパンの打撃コーチも務められました。
2024年9月に、執行役員編成本部長国際担当兼国際部長となられたそうです。

巨人を背負って立つと言われた天才打者、吉村貞章さん。

怪我がなければ名球会入りも可能だったかもしれません。しかし不屈の精神と、野球への熱い思いは多くのファンの記憶に残り続けるのでないでしょうか?

こちらに、吉村さんのNPBでの成績表を載せておきますので一度ご覧ください。https://npb.jp/bis/players/51253865.html


今後も、ジャイアンツや日本のプロ野球の発展に尽力される吉村さんの活躍が楽しみですね!

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